増田さんは子どもの頃からおばあちゃんたちの会話の輪にいたので、自然とおしゃべりになったそう(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
13年間のマラソン競技生活で、日本記録を12回、世界記録を2回更新した増田明美さん。92年に引退後はスポーツジャーナリストとして各紙誌での執筆や、大学での講義など幅広く活躍しています。特にマラソン・駅伝における「こまかすぎる解説はテレビ中継で人気を博していますが、かつてはそのおしゃべりな性質で苦労したこともあったそうで――。

おしゃべりの原点

マラソン解説では選手の競技生活だけでなく、趣味や家族のことまでつい話しすぎてしまうので、いつしか「こまかすぎる解説者」と。もともと私がおしゃべりなのは、おばあちゃん譲りだと思います。

千葉の実家は専業農家で、両親は毎朝早く起きると畑へ出かけ、夕方まで忙しく働いていました。幼い頃から祖母に背負われて育った私は、“おばあちゃんっ子”でした。祖母はどこかハイカラで、言葉遣いのきれいな人。戦死した夫(私の祖父)が海軍兵士で呉や横浜で共に過ごした経験なども影響していたのでしょう。

小柄な身体ではつらつと元気に動きまわっていて、私はよく「おばあちゃん似だね」と言われたものです。

毎日、保育園から帰ってくると、祖母は私を連れて近所の家へお茶を飲みに行きます。どこもおうちが広くて縁側があるので、近所のおじいちゃんやおばあちゃんたちが集まって、一時間くらい飽きることなくずっとしゃべっているのです。

なかでもうちの祖母はおしゃべりだから、隣のおじいちゃんはよく笑っていました。

「君江さんは人がしゃべっているときでも口がパクパク動いてるよ」と。