疎遠だったのに、介護になると会いに行く不思議

―― やっぱり、子どもとしては親の顔はある程度見に行かないと。まして、介護が必要な状態になったら。

『親不孝介護 距離を取るからうまくいく』(著:山中浩之、川内潤/日経BP社)

川内 これも不思議なんですけれど、皆さん、それまで疎遠にしていても、支援や介護が必要だとなったら、とたんに親元に行く頻度を上げようとしますよね。

病気や入院なら分かります。異常事態を元に戻すためのプロセスですから、励ましたり、励まされたくなる。

でも、介護は異常事態ではなく日常であって、本人がゆるやかに衰えていくのを支えていくプロセスです。普段から会いに行っているなら別ですが、長いこと会っていないのに急に頻度を増やしたら、親の衰えにショックを受ける回数が増えて、動揺して怒る。そんな子どもに親も傷ついて、お互いにストレスだと思います。

―― ええっと。

川内 いや、親のことが心配なのは分かります。関わろうとする姿勢もまったくもって正しい。衰えていく親から目をそらすだけでは、それはそれで亡くなったあとにつらくなったりするのかもしれません。ただ、ここでやってはいけないのは、「親のそばで暮らして〝自分で〟介護しよう」とすることです。

―― 介護のために親との距離を近くする。そうすると、イヤでも衰えた姿が、振る舞いが目に入る。そうなると、不安、怒りを我慢できなくなる。

川内 「親孝行」どころか、自分にも親にも大変なストレスをかけてしまい、ヘタをすれば介護離職や、子どもを巻き込んだヤングケアラーの発生などにもつながるルートです。親の介護は、自分は「マネジメント」に極力徹して、たとえばおむつ交換などの「オペレーション」には関わらない。これが基本です。

―― ええっ。