平清盛のチャレンジの行方

ぼくは日本の歴史は基本的に「西高東低」だと主張しています。

西国が先に発展し、東国がそれにならう。技術も文化も宗教も、新しいモノは西で生まれるし、西からやってくる。東国から西国に波及する、という事態はほぼ見られない。

一方で、武家が政権を構築する。これは全く新しいムーブメントです。

西国の、京都の、朝廷はすでに強力な支配力を持っている。天皇と貴族の世の中にあって、新参者の武士が政権を作ろうとしてうまくいくのか。それはたいへん難しいチャレンジになる。

平清盛はそれをやろうとした。

自身が先ず中央貴族として出世し、太政大臣にまで成り上がった。加えて弟たち、息子たちも貴族として昇進させ、「平家にあらずんば・・・」という世の中を築いてみせた。

でも、実際に平家が後白河上皇の力をはねのけて政権を運営するようになったのは、1179年のクーデター以降であり、その翌年には全国的規模の内乱が起きて、平家の支配は破綻してしまいます。