平家による都での政権運営の失敗。頼朝はそれに学びましたが、実朝は――。写真は広島県廿日市市の平清盛像(写真提供:Photo AC)

小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る武士たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(総合、日曜午後8時ほか)。11月20日の放送回では、後鳥羽上皇の計らいで、右大臣に叙されることとなった源実朝。政子が愛息の栄達を喜ぶ中、鎌倉殿への野心に燃える公暁は三浦義村のもとを訪れ、鶴岡八幡宮で執り行われる拝賀式について密談を交わす。一方、義時の周りでは、朝廷と鎌倉の橋渡し役として源仲章が存在感を高め…………といった内容が展開しました。

一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第15回は「なぜ幕府を京都に移すことに義時はあそこまで激怒したのか」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

実朝の「幕府を京都に移したい」発言について

前回、義時から右大臣拝賀式について中止を進言される場面で、将軍である源実朝が「ゆくゆくは御所を西に移す」と発言していました。

自分が一人で京都に行って暮らしたい、と思っての発言なら実現可能ですが、もちろん、実朝はそう考えていません。幕府そのものを鎌倉から京都に移したい、という意味でしょう。

それに対して北条義時は「この鎌倉を捨てるのか」と怒った。

このやりとり、どう考えても、正しいのは義時です。お父さんの頼朝も、あの世で「せがれよ、それができたら苦労はしないんだよ…」と苦笑していることでしょう。