信長や秀吉が京の近くに政権を置いたのも頷ける

だれだって、みやびやかな都に憧れをもっている。できれば都で暮らしたい。

でも、幕府を構成している東国の武士たちは、みんなで都に、というわけにはいかない。

上皇の影響力、貴族や寺社の支配力が強い都で暮らしていたら、武士のリーダーたる将軍に命を賭けた奉公をするのがアホらしくなるからです。

実際に承久の乱で、西国の有力武士である守護たちは、みな上皇に味方しています。

承久の乱の結果として、武士の勢力は西国に伸張した。さらに貨幣経済が日本列島に根付いて(1226~1250年、13世紀の第2四半期くらい)全国に流通網が整備されると、東国にも西国の品々がもたらされるようになった。

そうした状況を踏まえて、やっと武士は京都に進出できた。それが足利尊氏による室町幕府の設立だった。

大きな流れで、ぼくはそう考えています。

こうやって見ていくと、織田信長や豊臣秀吉が京都、もしくは京の近くに政権を置いたのも頷けます。問題は、じゃあどうして家康は江戸に政権を置いたのか、ということになるのですが・・・。まあ、それは来年考えることにいたしましょう。