「自分の見えている世界を世界の全てだと思ってしまう」ことがもたらす怖さとは――(提供:イラストAC)

「バイアス」は争いの根本的な原因に

もう一つ、別の例を挙げます。

ある人(Aさんとします)が突然立ち上がって「何もしていない人」(Bさんとします)に殴りかかって怪我をさせたとすれば、そこだけ見ていた人は「どう考えてもAさんが一方的に悪く、Bさんには非は全くない」と言うかもしれません。

でもこの2週間、毎日BさんがSNS上でAさんを誹謗中傷しつづけていたことを知っている人から見れば、いやあの言葉の暴力はあまりにひどかったから、「Aさんの気持ちは十分にわかるし、むしろそのきっかけを作ったBさんに非がある」という結論になるかもしれません。

ところが、さらにAさんとBさんの親世代からの家族同士の長年にわたる争いを知っている人から見れば、また違う見解になるでしょう。

国際紛争を考える場合も同じです。時間的、歴史的に「どの範囲で考えるか」でどちらが良いか悪いかという話は、そう簡単に一つに決められるものではないのです。逆に言えば、それは「どの範囲で判断するか」という前提条件がなければ決められません。

しかし、人は往々にして自分が見えている範囲が全体だと勝手に思い込み、それを無意識的に相手と同じ前提条件のもとに考えているのだと誤解してしまいます。

これが部分を全体だと思ってしまうバイアスです。いかに頻繁に起こり、私たちの争いの根本的な要因になっているかがおわかりいただけたのではないかと思います。