テレビで、少し硬派の番組を見ることにした
どんな問題についても、そして彼の死後でも、私は夫の答えがわかっているような気がしていた。私たちには基本になる姿勢があった。その姿勢はいくつもあったが、そのうちの一つは、カトリック的な解釈の基盤の上に暮らして来たせいでもある。
私たちは決して理想的な信者ではなかった。しかし私たちは、人間がすべて神の子であり、神はその人によって、彼又は彼女が持っているあらゆる特異な才能をお使いになる、と信じていた。
健康は一つの贈られた資質だが、病弱も人を考え深いものにする。秀才による世の中の進歩の恩恵に私たちはあずかるのだが、あまり頭のよくない子供の誠実さにもうたれて、徳というものはどんなものかを知るのである。
私の心の中では、夫が亡くなっても生きる指針はわかっていたが、私たちの毎日の時間つぶしはお喋りだったので、その相手がいなくなったことにはこたえた。
夫が亡くなって3ヵ月ほど経った或る晩、私は本を読む気力を失った。そういう静かな夜、私たち夫婦は会話をして時間をつぶしていたものなのである。相手のいない夜、友だちに長電話をするという人もいる。私はそれだけは自分に禁じていた。
自分の虚しさを埋めるために、お酒を飲んだり、麻雀をしたりするのと、長電話は同じようなものであった。
このどん底の気分も、私は現実的な方法で切り抜けた。テレビで、少し硬派の番組を見ることにしたのである。訳はついていたが、多くは、外国語の番組だった。そして自分の知らない世界が、あまりに多いことを覚えると、私は単純に感傷的になっていられない乾いた気分になれたのである。
※本稿は、『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(著:曽野 綾子/中公新書ラクレ)
夫の三浦朱門が亡くなって2年が経つ。知り合いには「私は同じ家で、同じように暮らしております」といつも笑って答えている。見た目の生活は全く変わらないが、夫の死後飼い始めた2匹のネコだけが、家族の数を埋める大きな変化である――老後の日常と気構えを綴るエッセイ集。