いかに親が何もかも手出ししていたのか

この日は前の日に使った野球着の洗濯、昼食の用意をし、水筒もしっかり揃えて出かけたが、磨いたスパイクを入れ忘れたらしい。それに気づかないほど緊張していたのかもしれない。

とにかく学校からのバスに乗れなかったので、一度下宿に帰ってスパイクを取ったら、電車で1時間強ほどかかるグラウンドまで一人で辿り着かねばならない。ところが、まだ彼は家から学校までの自転車の道のりをやっと覚えたところ。大阪の電車の路線図など全く分からないのに、初めて乗る電車でグラウンドまで行かなければならないのだ。文字どおり、這ってでも。

今は便利なアプリが携帯にたくさん入っている時代。ちょちょい、と行き先を入れれば電車の乗りつぎや料金、移動に便利な車両の位置、駅構内の近道まで教えてくれる。

でも翔大にとっては、親から離れて自力で行く先まで辿り着かねばならない、初めての試練だったように思う。

この時のことをあとで思い返してみると、いろいろと考えさせられた。これまでいかに親が何もかも手出ししてやってしまっていたのか…15歳まではそれが当たり前だったのか。携帯を簡単に持たせるわりには、大事なことは全部親がやってしまっていなかったか…。

とにかく一刻も早く電車でグラウンドに着いて練習に追いつかなければ。電車とバスを乗り継いで、1時間半かかってグラウンドにたどり着いた。まもなくというところで私も電話で安心して、大変だったよね、と胸を撫で下ろしていた。
親のドキドキハラハラは、いつも目の前ではない電話の向こうで起きていること。