時政が光輝いた時期

ここで決断を迫られたのが、父親の時政です。

「あちゃー、面倒なことになっちまったなあ。平家全盛の世に源氏の生き残りを抱え込んでもプラスにはならんだろ。だけど万が一、ってこともあるか。普通にコツコツやってたって、ウチじゃあどうせ上がり目はないんだ。よし、腹をくくって、万馬券を狙ってみるか!」

と考えたかどうかは定かではありませんが、大きく外れてはいないはず。時政はこのあとの行動から見るに、どうも、上昇志向の強烈な人だったようです。

そのあと、頼朝は挙兵。これが驚くほどうまくいって、時政は鎌倉殿のお舅さんの地位を手に入れ、御家人仲間から一目置かれることになる。

石橋山での大敗後、時政は頼朝と別れて武田信義ら甲斐源氏と合流。そのまま駿河へ侵攻したことで源氏方は勢いを盛り返す(『少年日本歴史読本、第拾參編』編:萩野由之/博文館)。国立国会図書館データベース

しかもそれだけではなく、国衙での実務経験を買われ、頼朝には官僚とか外交官として期待されます。

1185年には頼朝の名代として上洛し、海千山千の貴族相手に交渉し、守護・地頭の設置を認めさせました。この時点での時政は、光っていた。