12月に最終回を迎えた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。平安末から鎌倉前期を舞台に、小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る男たち女たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれ、人気を博した。その『鎌倉殿の13人』の総集編が12月29日にNHKにて放送される。そこで歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説した本連載を再配信する。
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今回は追い込まれた平氏が源氏へ最後の決戦を挑んだ「壇ノ浦の戦い」について。合戦はどう進み、なぜ勝利をもたらした義経と兄・頼朝はその後、対立するようになったのだろうか。この記事を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
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今回は追い込まれた平氏が源氏へ最後の決戦を挑んだ「壇ノ浦の戦い」について。合戦はどう進み、なぜ勝利をもたらした義経と兄・頼朝はその後、対立するようになったのだろうか。この記事を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
急速に勢いを盛り返す平氏を義経は一ノ谷で撃破
事実上の独立国として朝廷の支配を脱し、鎌倉を拠点として幕府機構の整備や武都・鎌倉の建設に邁進し、武家政権の基礎を固めていった頼朝。一方、平氏の勢力は尾張(おわり=愛知県)以西に後退し、屈辱的な敗北により武家の棟梁としての威信も低下した。
1181年、清盛が急死し、凡庸な嫡子・宗盛(むねもり)が後を継ぐと、平氏の退勢はいっそう加速する。
寿永二年(1183)には、信濃を平定し北陸道を進んできた木曽義仲に越中(えっちゅう=富山県)・加賀(かが=石川県)国境の倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで大敗。同年7月、義仲軍が京に迫ると平氏は都落ちを決意し、安徳天皇を奉じて皇位の象徴である三種の神器とともに西国へ落ちていった。
しかし京で後白河法皇と木曽義仲が争い始めると、平氏は讃岐国屋島(さぬきのくにやしま=香川県高松市)に内裏を構え、瀬戸内海の制海権を掌握。勢力を急速に盛り返していく。
元暦(げんりゃく)元(1184)年1月には、摂津国福原(せっつのくにふくはら=兵庫県神戸市)の旧都に大規模な城郭を築き、上洛の機会をうかがうまでになったのである。
義仲追討から二週間後、鎌倉軍は京を出発する。山陽道と丹波路の二方面から平氏の城郭に迫った源氏軍は、東の生田(神戸市生田区)と西の一ノ谷(同須磨区)を同時に攻めた。
互角の戦いが続く中、均衡を破ったのが義経率いる別動隊だった。
鵯越(ひよどりごえ)の崖上から奇襲攻撃を仕かけたことで平氏軍は壊滅し、平忠度(ただのり)、通盛(みちもり)、敦盛(あつもり)、知章(ともあきら)など一門の多くが討ち死にしてしまう(一ノ谷の戦い)。