源氏は勝利するも、安徳天皇と三種の神器の神剣の奪還に失敗
これを見た知盛は天皇の御座船に来て敗北を告げ、船内をきれいに掃除した。
かねてより覚悟を決めていた平時子(ときこ。故・清盛の夫人)はわずか8歳(数え年)の安徳天皇を抱き、三種の神器の宝剣を腰に差して入水した。「我をどこへ連れていく」という天皇に、時子は「波の下にも都はありますよ」といって慰めたと伝わる。
続いて、清盛の弟の経盛(つねもり)、教盛(のりもり)、孫の資盛(すけもり)、有盛(ありもり)、行盛(ゆきもり)らも次々と入水。
平氏棟梁の宗盛(むねもり)とその子・清宗(きよむね。のちに処刑)、安徳の母・建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)は捕らえられた。
平氏随一の猛将・能登守(のとのかみ)教経(のりつね)は船から船に乗り移り義経を追ったが、「八艘飛び」と呼ばれる大跳躍(『平家物語』では二丈=約6メートル)によって逃げられたため、敵将を道連れに自害した。
最期に知盛が「見るべきほどのことは見た」といって乳母子(めのとご)とともに入水し、平氏は滅び去る。清盛が死去してからわずか4年後のことであった。