それからマヌエラさんは、ダンスの技術を磨くこととともに、心を踊りに乗せて表現することを大切にしていたのではないかと。私はもともと小さい頃から球技に打ち込んでいた体育会系で、宝塚時代は力強さで見せるダンスが得意でした。

でも実は、デュエットダンスなどの、たっぷり音を使ってスローテンポで踊るダンスも好きだったんですよ。〈心の中で言葉を言う〉というか、振りにセリフを付けるようなイメージで踊っていました。そういう表現は今回の舞台でも活かせるのではないかな。彼女の心の叫びが踊りを通して感じられるように演じられたらいいなと思っています。

でも、ポスター撮りの時の衣裳にはドキドキしてしまって。マヌエラさんはスペイン舞踊を得意としていたそうで、肩と背中がざっくり開いた、ホルターネックの赤いドレス! 男役時代は体の線を見せないように、肌を露出する服は舞台上でもプライベートでも着ていなかったので、「うわ、布の面積が少ない」と。(笑)

『マヌエラ』の珠城さん。「上海の薔薇」の華やかさを体現

3度目の挑戦で合格を

私が初めて宝塚を観たのは、中学2年の時に参加したバスツアー。母によると、1部と2部の幕間にはもう、「ここに入りたい」と言っていたそうです。以来、退団までずっと、宝塚のことだけを考えて過ごしてきました。

もともと習っていたバレエに加えて声楽のお稽古も始め、中3の時に初めて宝塚音楽学校を受験。受験対策のため、夏休みと冬休みには愛知県蒲郡市の自宅から東京の宝塚受験の教室まで、ひとり新幹線に乗って、泊まり込みで講習を受けに行っていました。

そのぶん、不合格だった時は悔しかったですよ。悔しいというよりもっと深い喪失感。それでも「来年もあるから頑張ろう」と自分を奮い立たせて。

1回目は一次試験も通らず、高1で受けた2回目で二次試験まで行って、翌年の3回目でようやく合格という、本当に階段を一段ずつ上っていく感じだったので、受かった時は心底嬉しかったですね。

私の意思を尊重してくれた両親には感謝しています。「やりたいのならやっていい。その代わり、自分の言葉に責任を持ちなさい」と子どもの頃から厳しく言われていたので、受験に関しても途中で放り投げることはできませんでした。