煩雑でいっこうに落ち着かない日常

かくいうわたしの日常なんかも、このところ煩雑でいっこうに落ち着かない。実は平田さんと「哲学対話」をした日も、第二部の、会場の人々も交えた対話に参加できなかった。連合いがロンドンの病院で急に手術を受けることになったからだ。それで、先にZoomから退室して電車でロンドンに向かった。

連合いの手術は何時間もかかった。だから病棟の廊下にあるベンチに座っていると、「ここは退屈でしょう」とか「下に行ったら紅茶が飲める」とか看護師さんたちに何度も言われた。もしかして邪魔なのだろうかと思い、一階に下りることにした。どうもわたしは、NHS(国民保健サービス)の病院に行くと、スタッフの一人と思われるらしく(いかにNHSの看護師や医師に移民が多いかということを示す事実だ)、「どこかランチを食べられるところはありますか?」と人に聞いたら、職員用の売店のある休憩室に案内されてしまった。そんなわけで数時間前まで平田満さんと対談していたわたしはいま、英国の医療従事者にまみれてこの原稿を書いている。

絵=平松麻

福岡の妹からメールが来た。母親がホスピスに移ったので、もう延命治療はないそうで、輸血をしてもらえなくなると書かれていた。母親の意識があるうちに日本に帰りたいが、こっちにもいまがんで手術中の家族がいる。とはいえ、母親への余命宣告の内容を考えれば、モタモタしている場合じゃない。

妹からの長文メールを読んでいると、スマホに友人からのメッセージが届いた。正確には、連合いの長年の友人の配偶者である。連合いの友人もがんにかかり、病院から手術を勧められているのに、本人がいわゆる代替療法を信じていて、医学的な治療を拒否しているという。それで、うちの連合いになんとか説得してほしいらしいのだが、「いつなら会える?」と聞かれても、こっちも手術中なので、なんとも答えようがない。