矢野さんが軽音部の変化から感じた一般的なものとまるで違う音楽史とは――(写真提供:Photo AC)

 

授業に部活動、教員に生徒…。さまざまな要素で構成される学校とは、生徒と教員がそれぞれの身体でもって生きる場所であり、そんな躍動的な学校の姿を活写したいと話すのが現役の国語教員で批評家の矢野利裕さんだ。その矢野さんいわく、特に軽音部の変遷は時代を象徴しているそうで――。

転向する軽音部

音楽と言えば、やはり軽音部が外せない。僕が母校の高校の非常勤講師として初めて教える側に立った2008年、仲良くなった生徒は軽音部に所属していた3年生の男子生徒だった。彼はパンクが好きだったのだが、入り口となっていたのは日本のメロコアだったようだ。

メロコアというのは、それまでのハードコア・パンクから派生するかたちで台頭したメロディアスなパンクのことである。日本ではハイ・スタンダードやブラフマンなどが火付け役となって、90年代後半から2000年代にかけて、若者世代を中心に大きなムーヴメントとなった。

1983年生まれの僕は高校入学時が1999年にあたるので、同世代にはメロコアに影響を受けた友人がとても多い。当時の軽音部はメロコアが主流であり、それこそ文化祭になると、吹奏楽部がサポートに入ってスカパンク(スカコア)を演奏する、という光景が見られた。

ちなみに言うと、僕の出身高校は大学付属であり同じ大学系列の姉妹校があるのだが、その姉妹校の同学年には、のちに人気メロコアバンドとなるトータルファットの面々がいる。同じ大学付属なので、トータルファットのメンバーとは必然的に同じ時期に同じ大学のキャンパスに通うことになり、そのときは友人と対バンなんかもしていた。彼らは当時から華やかで、キャンパスでも目立っていた。