戦国時代の終末に位置する大坂の陣でも行われた“乱取り”

大坂夏の陣と言えば、徳川が豊臣に勝利し、戦乱に終止符をうった合戦です(イレギュラーなものとして島原一揆がありますが)。

実際にそこで何が行われていたか。『大坂夏の陣図屏風』という資料が大阪城天守閣に所蔵されています。

合戦後それほど時間が経っていないうちに筑前・黒田家で作成されたものですが、その左半分に描かれていたのは、あまりにもむごい光景でした。徳川方の武士が、戦いとは無関係な大坂の町人・庶民に襲いかかっているのです。

男は殺され、女は乱暴され、あるいは生きたまま捕らえられる(その後には人身売買が待っています)。描かれたその様子の生々しさやむごさから、同屏風は「戦国のゲルニカ」とも呼ばれています。

『戦国のゲルニカ―「大坂夏の陣図屏風」読み解き』(著:渡辺武/新日本出版社)

これは「乱取り」といわれる残虐な行為で、戦国時代の戦場で絶えずくり返されていたのです。そして、それは戦国時代の終末に位置する大坂の陣でも変わらなかった。もちろん、乱取りをした兵士たちが罰せられた形跡はありません。