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認知症について、どんな症状でどう接したらいいと、書籍や雑誌、ネットに情報はあふれている。頭ではわかっていても、毎日接する家族であればストレスもたまり、ついつい、キツい言葉や態度が出てしまう。元新聞記者の山田道子さんは、認知症が始まった84歳の母と二人暮らし。記者としての冷静な視点で、母の日常と自身の心の動きを分析している。多くの人が直面する介護問題について、実体験に基づく思いと、その解決法を専門家に尋ね綴る連載。第2回目は「見えない介護」です。
この記事の目次
母が認知症とは思いたくない
膠着状態を打開したのは特殊詐欺だった 医者だって不健康なことはある なぜ、母はお金にこだわったのか 見えない介護 専門家に聞いてみた

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母が認知症とは思いたくない

母宛ての「介護保険要介護認定・要支援認定等結果通知書」が地元自治体の市長名で届いたのは、昨年4月だった。水色の「介護保険被保険者証」と黄色の「介護保険負担割合証」も同送されてきた。認定結果は「要支援1」。予想通りだ。 

ここまでくるのは山あり谷ありだった。そもそも物忘れ外来、メモリークリニックに連れていくのが大変だった。まずは、私の中にある壁。なんだか普通の物忘れとは違ってきていると薄々感じながらも、あのしっかりとした母が認知症とは思いたくないという気持ちをひきずっていた。こんな時、肩を押してくれるのは外の人だ。私が『サンデー毎日』の編集長時代、認知症に関する記事をかなり書いていた女性記者ですら、「お母さまがおかしい」と同じマンションの住人に言われ慌てて取材した専門医に連れていった。

私も同じだった。初回、母が満州生まれで、母の父親は戦後、中国に捕まったことを書いた。母は結婚前、父親が捕まってどうなったかを探っていた。「リーさん」という中国の偉い人が来日した時、父親の元同僚らの力を借り「お父さんを返して下さい」という中国語の直訴状を持っていったという話を何回か聞いた。そのコピーも見せてもらった記憶がある。

「リーさん」とは、国交のない日中間で結ばれた貿易協定「LT貿易」の廖承志氏だと私は思い込んでいた。ところが、ある時新聞記事で、中国の初代衛生部長で中国紅十字会長となった李徳全氏だと勘違いに気づいた。彼女は日本人の帰国に尽力し、1950年代に2回来日している。

満州の話をよくするので、かつて読んでいた満州関連書を読んだら、と渡した。中でも、『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(太田尚樹著、講談社文庫)は随所にページの端が折られ、赤字の書き込みがある。

平成が終わるころ、李徳全氏に関する研究会が日本で発足し、集会が開かれると中国を専門とするテレビ局勤務の女友達が教えてくれた。母はその集会に行きたいというので、女友達に託した。その後、母の面倒をみてくれたお礼を言ったら、女友達が私に言った。「みっちゃんのお母さん、おかしいよ」。彼女の母親も認知症だった。「認知症の薬は暴力的になるから絶対飲ませないほうがいいよ」とも。