ミナミ美容室は祖母、南ぢうさんが始めた
ミナミ美容室は登美子さんの祖母にあたる南ぢうさんが、1888(明治21)年、16歳のときに祇園の芸妓、舞妓の髪を結う「髪結いさん」として始めた店だ。ぢうさんの腕前には定評があり、日本画家、上村松園((1875~1949年)の生涯を描いた宮尾登美子の小説『序の舞』(中央公論新社)にも登場している。
2代目を継いだのは、ぢうさんの娘ちゑさん。やはり結髪師として、昭和天皇即位の御大典では女官の結髪を任されたほどの腕だった。ちゑさんはまた、日本髪の研究にも力を注ぐ。画家の、吉川観方、河村長観や大学教授とともに歴史的検証を行い、日本の髪型を再現した。1956(昭和31)年に葵祭の行列が復活すると、斎王代の髪型、髪飾り、着付けを担当。生涯、独身を通したちゑさんは、日本画家だった兄の3歳の娘を引き取り、母となって育てる。それが登美子さんだ。
当時の「ミナミ美容室」はぢうさん、ちゑさんのほか、お弟子さんが常に5~6人いた。舞妓さん、料亭の女将さんたちが日本髪を結いに訪れて、年末年始などは、1階も2階もてんてこまいの大盛況だったという。登美子さんはその賑わいの中で育つ。