母の手からは逃れられない。これからもずっと
「……でもね、あかちゃん。就職はやめて」
「いや、それは」
「さっき、△△工業さんから電話があってね、申し訳ないけどお断りしたの」
「えっ、何で、そんな」
「だってあかちゃんは、来年医学科に入らなきゃいけないでしょう」
「え、でも」
狂ってる。逃げなくては。
「あかちゃんは未成年でしょ。親の許可がないと就職はできないの。でも、お母さんは絶対に絶対に許しません。お父さんが仮に許しても、お母さんが許しません。そんな人を会社は雇ってくれると思う?
あかちゃんは、お母さんと約束した通り、来年医学科に合格するの。お祖母ちゃんに京大の学費出してもらって、それで予備校に通わせてあげるから、頑張って勉強しなさい。
あかちゃんがいくら逃げても、お母さんはどこまでも追いかける。絶対に逃がさない。合格するまで、ずっと」
そうなのだ。母の手からは逃れられない。これからもずっと。
「私はあんたを生んだときから、医者にすると決めていたのよ。逆らうんなら慰謝料と、いままでの学費1000万円を払ってね」
母からは、そう通告された。
そんなおカネが払えるわけがない――。
三月下旬になって、高校の国語教師のもとに、あかりからレポート用紙一二枚に及ぶ手紙が届いた。そこには、
「毎日琵琶湖大橋から飛び降りて死ぬことばかり考えていました」
など、切々とつづられていた。
※本稿は、『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)の一部を再編集したものです。
『母という呪縛 娘という牢獄』(著:齊藤彩/講談社)
母と娘――20代中盤まで、風呂にも一緒に入るほど濃密な関係だった二人の間に、何があったのか。公判を取材しつづけた記者が、拘置所のあかりと面会を重ね、刑務所移送後も膨大な量の往復書簡を交わすことによって紡ぎだす真実の物語。