手術がたて込んでいて、兄の手術はすぐにできず、後見人さんと息子さんが待機してくれた。私は会社に戻り、仕事を終えてから再び病院に行った。夜遅く、手術は終わった。兄はW病院で術後を過ごし、後見人さんが再びK精神科病院へ兄を連れて帰った。

手術後の定期的な通院は、毎回、後見人さんが兄に付き添ってくれ、私は会社を休まずに済んだ。

ある日、私が会社の近くを歩いていると、携帯電話が鳴った。W病院で兄の手術をした医師がその後も診てくれていて、電話をくれたのである。

「妹さん。お兄さんは血管の状態から100%の手術はできず、80%の状態なので術後の出血もありえます。100%にする2度目の手術はできません。いつか悪くなると思うので、それまで楽しく生きてください」

私は、「先生が手術をしてくださったことだけで十分です。ありがとうございました」と泣きそうになりながら言った。

電話を切ったとたんに、私は路地に入ってしゃがみ込んで泣いた。

「それまで楽しく生きてください」という医師の言葉の深さと、私のように手術をするかしないかの選択ができない、兄の限られた人生に涙があふれた。

それから3年後、兄は別の病院に転院後、70歳で亡くなった。腹部大動脈瘤は破裂せず、気管支炎が悪化したのだ。

兄は病室にあった紙に文字を残していた。「生きることは神秘だ」と書いてあった。