三味線を弾くのに欠かせない指掛は、祐子師匠の手編み

小そめ 結婚されてからは「92歳と91歳の浪曲界最高齢コンビ」となるまで、ずっとご一緒でした。

祐子 一緒になるときは、娘にも相談したんだ。そしたら「お母さん、いままで苦労したんだから自分の好きにすれば」って。

小そめ 桃太郎師匠との稽古は、厳しかったですか。

祐子 うるさかった。一度、「太鼓叩いてるような音出しやがって」って怒るから、「一所懸命弾いてるんだから、我慢してやって」と言ったの。そしたら「一所懸命弾きゃいいってもんじゃない。芸才がない」って。

頭にきて「以後、私は普通のお勝手のおばさんでけっこうです。三味線は、誰か別の方に頼んでください」って、三味線バタバタバタッって畳んだら、それっきり文句言わなくなった。気に入らないことがあっても「出てけよ」と静かな声で言うだけ。

私が一度おちょくって「出てけ出てけって、ベランダですか?」と言ったら、ものすごい顔で睨みつけてね。ああ、怒ってるときは冗談で返しちゃいけないと思って謝ったよ。

小そめ 桃太郎師匠がお元気だったころは、師匠はいつもふたり分の衣装とご自分の三味線を持って木馬亭に入られてましたね。

祐子 お父さんが病院で亡くなってうちに帰ってきたとき、小柳さんがそばにいてくれた。だけどさ、一回は泣かないと気が済まないもんな。それで「悪いけど今夜はよそへ泊まってくれる?」と頼んで、はじめて亡骸にすがって泣いた。

泣くだけ泣いたらぴたっと涙が止まってね。いまもお墓に行くと、「お父さん、こんにちわ」って明るく挨拶すんの。私もそのうち入るんだ。幸せだよ、お父さんのそばに行かれるんだって思うもの。