「最後の最後まで仕事をして死にたいというのが私の希望ではありますが、そうじゃない場合に備えておくことも大切ですよね。」

母の介護生活の中で行く末を考えて

私は、2006年に妹・理恵を、15年には母を見送りました。その経験を通して身に染みたのが、片づけは動けるうちに自分でしておかなくてはいけないということ。他人のモノを処分するのは大変なんです。

妹の場合は、2つある部屋のうち1つが本で埋まっていました。貴重な本がたくさんあるのはわかっていたから、とても自分では手がつけられず、結局人にお任せしたんです。そしたら、あっという間に運び去られて。仕方がないと思いながらも、ずいぶん胸が痛みました。

母の場合は、何十年も前に使っていたハサミやコテ、電気アイロンなどが残してあったんです。もういないんだから残しておいてもしょうがないと考え、悩みつつ処分。でも、その人生が朝ドラになった母は今も人気があり、道具や写真を借りたいという問い合わせがよくあるのです。捨ててから後悔することになりました。

私が死んだときに、こんなことを誰かにやらせたくない――そう思って、自分のモノの始末はこまめにしています。

そもそも私は、「なくなって悲しむものは持たない」主義。それでもどうしても増えてしまっていたのが洋服でした。舞台衣装に使えそうなものを見つけると、「いつか使うかも」と買っておくことも多くて。でも、舞台を引退した10年ほど前から、思い切ってそれらを友達に譲ったり、劇団に引き取ってもらったりしたので、今はスッキリしています。

旅行のお土産とか記念品の類もかなり処分しました。もらい物をするのは大嫌いなので、親しい人には「私に何も贈らないでね」と頼み、全力でいただかないようにしています。こうしてかなり片づいてきているので、私がこの世からいなくなったときの後片づけはきっとラクだと思うわ。

お話ししたように母は、亡くなるまでの10年間、寝たきりでした。最初の3年は入退院を繰り返していましたが、残り7年はヘルパーさんにお世話になりながらの在宅介護。母には私がいましたからそれが可能でした。でも、私はひとりです。自分で生活を回していくことができなくなったら、どうするのか、これは母の介護生活でよく考えましたね。

その答えは私の中では出ていて、自分がそこまで長生きしちゃったら、やはりどこかの介護施設に入って、どなたかのお世話になるしかない。だったらどこの施設がいいのかと情報を集めて検討するくらいのところまでは準備をしています。最後の最後まで仕事をして死にたいというのが私の希望ではありますが、そうじゃない場合に備えておくことも大切ですよね。