40代からフォトジャーナリストに

もともと私は、普通の会社員だったんです。でも30代後半でリウマチ(のちに全身性エリテマトーデスと診断)に罹り、体が動かなくなってしまいました。一時は一生治らないと覚悟していたのですが、幸いにも治療が奏功して寛解。そのときに、どうせ一度の人生なら、これからはやりたいことをやってみようと決意したのです。

ちょうどそのタイミングで、パレスチナの子どもたちの写真展を見る機会があり、大きな衝撃を受けました。どうしても現地に行ってみたいと思い、カメラなど撮影機材をいろいろと準備して、半年後ぐらいに40歳で初めてパレスチナの地を踏んだ。それから毎年のように現地に通うようになり、雑誌に記事を発表したり本を書いたりと、フォトジャーナリストとして仕事をするように。

破壊された自分の家の前にテントを張っている家族。昼間はテントで過ごし、夜は親戚のところに避難する(2009年、ジャバリア東部アベドラボー)。〈撮影◎古居みずえ〉

最初のうちは半年ぐらいパレスチナにいて、お金がなくなったら日本に帰ってくるというサイクルを続けていました。

「あんな過酷な状況の所に、よく長いあいだ居続けられるね」と人から言われたこともあります。でも私は全然そう思わなくて、できることならずっと向こうにいたかったぐらい。

平和な日本ではみんな老後の心配をしながら生きているように見えるけれど、パレスチナでは刹那、刹那で人が生きている。家族を喪ったり、悲しいことも多いなかで、人々が結束したり、他人の痛みや悲しみに寄り添ったり。パレスチナの人たちのほうが、本当に人間らしい生き方をしているのではないかと感じたりもしました。私にとっては居心地がよかったんですね。

何よりも、現地の人たちが命がけで私をいろいろな所へ連れて行ってくれることには心を動かされました。彼ら彼女らが私に見せてくれるもの、教えてくれることを、私も伝えなくてはいけないのではないか。そう思って写真を撮り始めて、それがだんだんと仕事になっていったというわけです。

20歳の女子大生、ラガッド。イスラエル軍の攻撃を恐れて、およそ100人の人たちが避難した叔父の家にて(2014年、ハンユニス・フザー村)〈撮影◎古居みずえ〉