パレスチナの人々の姿が重なって

私が被写体に選ぶのは、子どもや女性が多いんです。それも活動家やリーダー格の人ではなく、私自身と同じ、目立たないごく普通の女性。どこにでもいるような普通の人が、どんなに過酷な状況でも、必死に頑張って生きているということに関心があるんです。

そういう意味で、私が国内でかれこれ10年以上カメラを回し続けてきたのが、福島県相馬郡の飯舘村の女性たちです。

東日本大震災が起きるまで、私は飯館村という場所があることさえ知りませんでした。震災直後の2011年3月15日ごろにジャーナリスト仲間とともに被災地へ。自分でも何を撮るつもりかわからないまま、陸前高田や大船渡など被災した沿岸部を回りました。

同年の4月に新聞記事で、飯舘村が計画的避難区域に指定され、全村避難となったことを知りました。そのときに私の頭の中で、故郷を追われたパレスチナの人々の姿が重なって、どうしてもこの村へ行きたいと思ったのです。

飯舘村では17年に帰還困難区域を除くすべての場所で避難指示が解除されました。でも避難先で生活基盤ができたり、帰っても仕事がなかったりなどさまざまな事情で、村に戻った人は2割ほどです。

東日本大震災から11年目の飯館村。春を前に山の木々が少しずつ色づき始めている(C)Mizue Furui 2022