撮ることが生き甲斐

私は東京在住で、車も運転できないので、福島の駅前にアパートを借りて拠点にし、仮設住宅など皆さんの避難先や移転先にも通い続けました。

最初はべこやの母ちゃんたちが牛を手放す哀しさを描きたいと思っていたんです。でも何年も追っていくうちに、その後ろにあるいろいろなものが見えてきました。たとえば彼女たちが一番大事にしているものも、当然ですが、それぞれで違います。ある人は故郷や土地であったり、ある人は動物への愛情、ある人は家族であったり。そして避難指示が解除された後も、帰村した人、帰らない人、帰れない人、帰らないけれど定期的に飯舘村へ通う人と、選んだ道もそれぞれでした。

そんななかで、彼女たちの村での立場や、土地の歴史的背景、伝統、何がその村の良さで、何を喪ったのか。そういったことをもっと大きな視点から描きたいと思うようになったんです。

10年も20年もひとつの対象を撮り続けるモチベーションは何かと聞かれることもあります。何だろうと自分でも考えるのですが、結局途中で止めたら何もなくなっちゃう。私が生きている意味もなくなっちゃうという思いが根っこにはあるんですね。

コロナ禍だとか、自分が体を壊したりとか、いろいろ不測の事態は起こるのだけれど、それで止めようと思ったことはありません。やはり撮ることが生き甲斐なのだと思います。

多くの酪農家が廃業するなか、原田公子さん夫妻は牛とともに飯舘村を離れ、新天地で酪農を続けた(C)Mizue Furui 2022