時間をかけて伝えたいこと

今は現地の人がスマホで撮影し、瞬時に世界中へ発信できる世の中です。ネットもあるし、テレビ局もそういう生の情報を優先する。以前とは報道のあり方もずいぶん変わりました。

それでも私たちジャーナリストが現場に行くことには、いくつかの意味があると思っています。ひとつは、たとえば外国で起きた事件を現地や欧米のメディアが取材するのと、日本人が行って取材するのでは、おのずと視点が違ってくると思うんです。

そしてもうひとつ重要なのが、ジャーナリストは定点観測ができるということ。

現場を一瞬切り取っただけでは、即時性はあっても全体像がわかりにくい。でも長い時間をかけてある一点を取材し続けることで、人でも場所でもその変化が描けます。そうすることで初めて、歴史的な意味も見えてくる。

『べこやの母ちゃん』の一人、長谷川花子さんが仮設住宅で、「大変な8年間だったけれど、自分もその中で成長した」と言う場面があるんですね。そんな風に言える力強さって、すごいなと思いました。撮られている人は成長するけど、私は同じところをグルグル回っているだけのような気もしますが(笑)。でも何年も撮り続けてきたからこそ、彼女の言葉の重さが深く伝わってくる。

いまは何でもサイクルが速いですよね。ニュースの消費もそうだし、映画の内容を10分でわかるように要約した「ファスト映画」みたいなものがあったり。

でも私はそれとは逆に、時間をかけて大事なことを伝え、時間をかけて受け取ってほしいんです。だから体力的にはだんだんつらくなりますが、これからも取材対象とは長い付き合いをするしかないと思っています。

飯舘村に通いながら10年過ごしたら、私もいつの間にか74歳になっていました。そんなつもりはなかったのに(笑)、もうすぐ後期高齢者です。ふだん鏡もろくに見ないので、自分の歳を忘れていて。あと10年経ったら84歳。もうあまり時間がないことに、遅まきながら気がつきました。

だからといって今さら焦っても仕方ありません。これも自分なりの生き方なので、私はこれでいいのかなとも思っています。

腰が治ったらこれからもパレスチナに通うつもりだし、福島も見つめ続けたい。気分としては80代、90代までといわず、3ケタのジャーナリストを目指すつもりです。

(撮影◎本社・奥西義和)

映画『飯舘村 べこやの母ちゃん‐それぞれの選択

3月11~17日に東京・ポレポレ東中野にて上映予定。
以後、全国で順次公開