幼児性は相手を軽々と裁く
1994年のルワンダのフツ族によるツチ族の虐殺の時、あるフツ族の老女は、自分の娘がツチ族の男性と結婚して産んだ孫を殺した。
「お前が本当にフツ族なら、ツチ族の血の入った孫を認めるわけがない。もし殺さないなら、お前を殺す」と言われたからであった。
こうした実際にあった話を前にして、自分はこういう場合にも絶対に幼児を殺すことはしない、と自信を持てるのが幼児性である。「もし仮に自分が……であったなら」という仮定形になかなか現実の意味を持たせられないのが幼児性なのである。
結果的に幼児性は相手を軽々と裁く。これも大きな特徴の一つである。それは、人間というものはなかなか相手を知り得ない、という恐れさえ知らないからである。
あるいは自分もその立場になったら何をしでかすかわからない、という不安を持つ能力に欠けるからでもあろう。
一方、幼児性は、社会と人間に対して不信を持つ勇気がない。不信という一種の不安定でおぞましい、しかし極めて人間的な防御(ぼうぎょ)本能を駆使(くし)することによって、初めて私たちは一つの信頼に到達することができる。
したがって信じるまでの経過には、私たちの全人的な人間解釈の機能が長期間にわたって発揮されるわけだ。