どういうふうに自分の心をまとめたらいいのかわからない

ネパールでも、ある難民キャンプでは、周囲の一般の人々の暮らしより難民キャンプの方が保護されていて生活が楽だということになった。この比較が嫉妬(しっと)を生むようになった。

もうずっと昔の話だが、レバノンのパレスチナ難民キャンプでは、一家十人が一間で雑魚寝(ざこね)するような掘っ立て小屋から、朝になると剃刀(かみそり)の刃のようにきちっとズボンをプレスした青年が、キャンプ外へ働きに出る姿もあった。

ある難民はカットグラスのコレクションを持っていて、私を驚かせた。

『幸福は絶望とともにある。』(著:曽野綾子/ポプラ社)

私はどういうふうに自分の心をまとめたらいいのか、わからない。もちろん難民たちは、疲労や飢餓、病気やけが、地雷を踏むなどの理由で死亡するケースが、穏やかな生活を許されている私たちより、はるかに多いであろう。

私が働いている小さなボランティア・グループも、コソボの問題が膠着(こうちゃく)しそうになった四月初め、素早く国連難民高等弁務官事務所に1000万円を送った。

大量の難民が発生した場合には、送金は早ければ早いほど効果を発揮する、と思われたからだ。そして私自身、寒さにも弱ければ、長い距離を歩けるとも思えず、飢えに襲われたらすぐ取り乱すことを知っている。

家を破壊され郷里を追われた人々のことを考えると、自分がなぜそのような不運に遭(あ)わないで済んでいるか、申しわけないような気さえするからである。