政府は何をしているのだ

そこで経営上の話を聞いた。

学校側は1990年以来、国からの支援は全くなくなったことを強調する。運営費には約300万円かかるのだが、このうち120万円ほどしか手当てができない。食費に約48万円を借り入れ、被服費に60万円がかかる。

「古いシャツやセーターなどをくれる人はいないのですか。私の卒業した学校では、赤ちゃんの古着など、皆同級生が回して着せて育てるのですが」と私が言うと、モンゴルにはそういう習慣はないから、くれる人がいない、と言う。

「何より困るのは、発電所で沸かしているお湯を市内に配る集中給湯暖房設備があるのだが、孤児院の配管がだめになっているので、お湯をもらえない。今年の寒さも相当のものだった。来年は生きて冬を過ごせるかどうかだと思う。しかし今日ここに日本人が来たというのは、何かの縁だろう。もしかすると日本人が配管を取り換えてくれるかもしれない、ということを期待している」という言い方である。

政府は自国民の不幸な人たちを自国の責任において救わねばならないのに、何をしているのだ(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

可哀相な孤児たちが凍えそうな思いをしているというのに、政府は何をしているのだ。給湯設備の取り換えは、日本円で計算してみると約40万円ほどだった。誰だって出してあげたい、出してあげられる、と思うだろう。

しかしそれをやっていたら、政府は自国民の不幸な人たちは、どうしても自国の責任において救わねばならない、それが国家の使命なのだ、と思わなくなる。