100%支援という援助の方式への疑問

しかしそれにもかかわらず、私は最近、100%支援という援助の方式に、深い疑問を感じるようになった。

結論から言うと、たとえば10%であれ、自分で何とかします、後の90%が足りないので、何とか助けてください、という所以外は、援助のお金は出すべきではない、と考えるようになったのである。

曽野綾子「出さないことは辛いが、私たちはその国の自立を考えるために、悲しみを持って理性に殉ずべき時に来ていると思う」(1994年撮影、本社写真部)

先日、私はモンゴルへ行き、ウランバートルで孤児院を訪問した。柳絮(りゅうじょ)の季節であった。雪のように白い柳絮がひときわ吹き溜まりになっている建物が、孤児院だった。

ウランバートルには冬季零下30度にもなる寒さを避けて、マンホールの中で暮らすストリート・チルドレンが3000人もいるというが、孤児院には140人の孤児たちが収容されていた。

両親の死亡した子がほとんどで、片親が病気とかアルコール依存症とかで子供を育てられないようなケースは18例だけである。