諏訪湖畔で湯垢だらけの遺跡が見つかる!
「現上諏訪駅前のデパートの建設工事のとき、地下5・5メートルの真黒な有機土層で、大石がごろごろと、ほぼ環状にならんだところがあった。硫化物の臭いが鼻をうった。硫黄質の湯が湧いていたことは確実である。そしてその大石の破目やその付近一帯から、爪形文の土器片や、刃だけ鋭く砥いだ局部磨製石斧などがたくさん出てきた。いずれも湯(ゆ)垢らしいものがこびりついている。これは、約六千年前の縄文前期はじめ、 子母口(しぼぐち)式(神奈川県の標式遺跡)という文化の人々である。私はいまのところ、はっきりわかる日本最古の入浴資料だと信じている」
と『藤森栄一全集第4巻』の中で述べている。続いて第8巻では、
「それに、もっと驚いたことには、6メートルのスクモ(腐食土)層下に大きな岩石が累々とあって、そのまわりは明瞭にかつて湯が湧いていたことを示す湯アカがいっぱい。遺物は土圧で、その岩石の間にはさみこまれてもっとも多く出てくるのである。調査員は、そのどろどろの、いまも硫黄臭と鉄のくさったような湯の匂いのただよう岩のそばで、思わず『湯に入っていたんだ』とつぶやいたのである。山の内温泉の地獄谷では野猿だって湯に入っている。何の不思議があろう」
と書き綴っている。
さらに、藤森は旧石器時代の人々と温泉との関わりについても触れ、
「類推できるところでは、もっと古い例もある。駅前の片羽町遺跡の六千年よりもさらに古く、旧石器時代末の曽根人という人々は、街はずれの大和の湖岸から二メートルほどの深さの、いまの湖底でくらしていた。その村の外まわりには、いくつかの湖底湯釜、釜穴があり、近くには七ッ釜、三ッ釜とよぶ諏訪温泉最大の湧出孔があった」と述べている。
諏訪湖東岸、現在の上諏訪温泉の泉質は硫黄泉と単純温泉であり、発掘調査結果と一致する。