縄文人は、温泉巡りのための道を作っていた!

諏訪湖畔の温泉跡とともに注目されているのが、古代の人々が往来していた道が温泉を繋ぐものとして作られてきたらしいということである。

萩原進は『万座温泉風土記』の中で、
「この付近一帯は実に豊富な温泉をもち、古来より有名であるが、古代人は進んでこの温泉を利用したであろうと思う。したがって温泉の利用ということと道の問題も古くからあったものと考えられる」と指摘し、草津温泉(群馬県草津町)から万座温泉(群馬県嬬恋(つまごい)村に進み、峠を越えて上州(群馬県)と信州(長野県)を結んでいた古代の道が《温泉を結ぶ道》であったと推論している。

その手がかりを与えてくれたのが、この一帯に点在する縄文時代と弥生時代の遺跡である。草津温泉からは縄文式土器や石鏃(せきぞく=矢じり)などが発見され、すぐ近傍の六合(くに)村諏訪原からも縄文式土器が出土している。

ここが縄文人の集落であったことが明らかになり、草津温泉から信州へと繋がるルートのうち、最も古い道は草津温泉~志賀高原(長野県山ノ内町)、草津温泉~渋峠~渋温泉(長野県山ノ内町)、草津温泉~万座温泉~万座峠~山田温泉(長野県高山村)~牧村(新潟県上越市)などが考えられている。中でも萩原は万座峠を越える道が最古のものではないかと推察している。それは、草津温泉から万座温泉へ行く途中の吾妻(あがつま)硫黄鉱山跡下方の谷や干俣(ほしまた)牧場近傍(いずれも群馬県嬬恋村)から、縄文時代の土器片や石斧、石鏃などが出土しているからである。

「古代の上州・信州の交通路は、山腹を連ねる等高線ではなかったかと思われる」という結論を導き出している。

『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える-心と体に効く温泉』(著:佐々木政一/中央公論新社)