三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)1950年東京都生まれ。青山学院大学在学中に五代目三遊亭円楽の付き人を経て入門。三遊亭楽太郎を名乗る。77年、『笑点』のレギュラーに。81年真打昇進。2010年、六代目三遊亭円楽を襲名。「博多・天神落語まつり」を手がけるなど、所属協会の垣根を超えて活躍した。22年9月30日死去。享年72/三遊亭円楽さんお別れの会(写真提供:共同通信社)
2022年9月30日、落語家の三遊亭円楽さんが亡くなった。脳梗塞を発症後、8月に復帰した高座が最後となった。円楽さんは公私の別を信条とし、妻の會留美子(あい・るみこ)さんは「おかみさん」として表に出ることはおろか、落語界とほとんどつきあいを持たずにきたという。メディアへの登場は今回が最初で最後。円楽さんと長く仕事をともにしてきた所属事務所社長の植野佳奈さんと、ありし日の夫について語り合う(企画・構成=渡邉寧久 撮影=宮崎貢司)

『笑点』は降板を覚悟していた

 2022年12月2日に楽ちゃんのお別れの会が無事に終わって、いまはホッとしているところです。佳奈さんには、いろいろとお世話になりました。

植野 留美子さんも一太郎さん(円楽さんの長男)も、いい意味ですべて任せてくださった。会場の東京會館は、先代円楽師匠のお別れの会をした場所でもあります。

 私が把握していたのは遺影くらい。内容については聞いていなかったので、当日、会場の皆さんと同じような気持ちで祭壇を見たり、お話をうかがったりしました。寄席に見立てた会場もよかったですね。皆さん、にぎやかでいい会だったとおっしゃっていました。

植野 それはよかったです。師匠が亡くなったのは、本当に急なことでしたから。あの日は、留美子さんが病院に向かう前、私に連絡をくださったんですよね。

 楽ちゃんの最期の瞬間には、残念ながら間に合いませんでした。朝、当直の先生から「血圧が落ちています。すぐにきてください」と連絡があって病院に向かいましたが、そのときはもう……。