「8月に最後の入院をするまでは、本気で(笑点に)復帰する気持ちがあったと思います。」(會さん)

植野 前日、師匠から仕事に関する留守番電話が入っていたくらいで、それを聞いても特別変わった様子は感じられなかったのに。

 ただ、亡くなる2日前、主治医の先生からは「もう体力が十分ではないので治療が続けられない。コロナのこともあるし、家族が面会できる病院に転院してはいかがですか」と言われていたんです。先生のお話では「年を越すのは難しいだろう」ということで、そのとおりになってしまいました。

植野 昨年1月、脳梗塞で倒れたあと8月に高座復帰したものの、直後に肺炎で最後の入院生活を送ることに。師匠自身、もう『笑点』の出演は続けられないと思っていたようで、降板の覚悟はしていました。

 この先、落語もできないんじゃないかと思っていたかもしれませんね。それでも演芸プロデューサーのような形なら、落語に携わることはできる。本人なりに可能性を考えていたと思います。弱音を吐くことはなかったし、復帰したい気持ちはあったと思うけど、もう体が動かなくて……。

植野 脳梗塞で倒れた日、師匠は仕事で栃木県小山市に向かう予定でした。お弟子さんが自宅に迎えに行ったのですが、時間になっても出てこない。

 楽ちゃんから、チャイムを鳴らすなと言われているのよね。

植野 急かされる気がするのがイヤなんだそうです。私に報告がきたとき「これはおかしい」と思い、留美子さんにLINEを入れて、出先から戻っていただきました。

 意識はあったんです。でも呂律は回らないし、自力で立てない。体に力が入らず、だらーっとしている感じでした。搬送先の病院からは5日ほどで転院しましたが、コロナ禍で面会は一切できない。5月に退院するまで一度も、です。

最初のうちはオンラインでやり取りしましたけど、顔しか映らないので全身の様子がわからないんですよ。だんだんやらなくなりました。すでに私たち、入院慣れしているところがあったのよね。(笑)