2005年ころ、円楽さんとマネージャー時代の植野さん(写真提供:植野さん)

脳腫瘍でも入院先から演芸場に

植野 私には「飯がまずい」って、そればかり連絡がきていましたよ。しかも退院直後にお酒を飲んでいたのには、びっくりしましたね。

 家に帰ってきて、5分後にはビールで乾杯してた(笑)。退院後は、ほぼ毎日飲んでいました。ビールから始まって、あとはチューハイ程度ですが。酔うとわりとすぐに寝ちゃう。元気なころから飲みたかったら飲む人で、それこそ仕事がない日には朝食のときから飲んでいました。私も夜ならつきあう。私たち、お酒で繋がっていたといっても過言ではないので。

植野 旅先でも、朝食のとき「半合だけね」と言って飲んでいました。そこは芸人らしいと言えば芸人らしいんですけど。そして本当にリハビリはしませんでしたね。

 「どうしてやらないの?」と聞いたら一言、「ずぼらだから」。

植野 一太郎さんがよく「父ちゃんが敵わないのは、母ちゃんと植野さんだけ」と言っていましたが、その私たちが2人で発破をかけてもダメでしたね。

 入院中は1日3回、1時間ずつリハビリをしていたそうです。ただ退院後は、訪問リハビリの方が週に2回きてくださっても、せいぜい1時間程度なので、まったく時間が足りない。

植野 師匠はせっかちなところがありますしね。

 そうなのよ。ちょこちょこっとやって終わりにしちゃう。ただ、毎週『笑点』は夫婦で見るようにしていました。小道具を手に回答するようなとき、「これ、できないよね」と言うと「いや、何とかできるよ」って。だから8月に最後の入院をするまでは、本気で復帰する気持ちがあったと思います。