かつて、「一億総中流」が成り立っていた理由

君たちは「一億総中流」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

70年代の日本では生活水準を上流、中流、下流と3つに分けた場合、ほとんどの日本人が自分を中流であると回答していた。上流、または下流に属すると考えている人は、それぞれ数パーセントしかいなかった。こうしたことを根拠に、日本人がほぼ中流階級にあるという考えが広まったのだ。

後で述べるように、格差がはっきりと広がった現在の日本社会とはずいぶん状況が違う。なぜ一億総中流が実現したかと言えば、個人商店の存在が大きかった。個人商店が地域に根差し、持ちつ持たれつの関係によってそれなりの収益を得ることで、多くの人に適度な富が分配される仕組みになっていた。

もちろん、そうした密接な関係には、ともすれば面倒に感じるようなことも多々あった。小言を言ってくる親と毎日朝から晩まで一緒に働かなければならないし、夜や休日は地元の付き合いに駆り出される。頼まれれば儲もうからないことや、余計な労力のかかることもやらなければならない。それを断るのは、コミュニティから外れることを意味する。

こうした濃密な人間関係を疎うとましく思って、そこから離れることを選んだ人も少なくなかった。特に優秀な人であればあるほど、引く手数多(あまた)なので、都会へ出て企業に勤め、核家族を形成することによって自由な生活を手に入れようとした。もっとも当時の給与体系は年功序列だったが、終身雇用制と年金のお陰で老後の人生まで保障されていた。