三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)1950年東京都生まれ。青山学院大学在学中に五代目三遊亭円楽の付き人を経て入門。三遊亭楽太郎を名乗る。77年、『笑点』のレギュラーに。81年真打昇進。2010年、六代目三遊亭円楽を襲名。「博多・天神落語まつり」を手がけるなど、所属協会の垣根を超えて活躍した。22年9月30日死去。享年72(写真は『婦人公論』2006年7月22日号より)
2022年9月30日、落語家の三遊亭円楽さんが亡くなった。脳梗塞を発症後、8月に復帰した高座が最後となった。円楽さんは公私の別を信条とし、妻の會留美子(あい・るみこ)さんは「おかみさん」として表に出ることはおろか、落語界とほとんどつきあいを持たずにきたという。メディアへの登場は今回が最初で最後。円楽さんと長く仕事をともにしてきた所属事務所社長の植野佳奈さんと、ありし日の夫について語り合う(企画・構成=渡邉寧久 撮影=宮崎貢司)

<前編よりつづく

《夫》の高座を聞いたのは二度きり

植野 いまでこそおしゃれなイメージがありますが、私がはじめてマネージャーとしてついたころの師匠は、いつもジャージでうろうろしているような人で、めちゃくちゃダサくて。私も20代前半で怖いもの知らずだったから、「師匠、そういう服はやめてください」とずいぶん言ってしまいました。

 佳奈さんは、アルバイトをしていた大学生のときから、楽ちゃんのマネージャーだったのよね。

植野 先代円楽の所属事務所に就職が決まったとき、大学卒業までの間のアルバイトとして、師匠のマネージャーをいきなり務めることになって。収録中の『笑点』の楽屋に行ったのが初対面です。社長の「楽太郎さん(当時)、明日からこの子がつくから」の言葉に、「ふーん」ってそれだけ。13年前に私が独立して新たに事務所を立ち上げたので、師匠にも所属していただきました。

 私たちがはじめて会ったのも、そのころなのよね。メキシコで開かれた(桂)歌丸師匠と楽ちゃんの落語会に行ったとき。

植野 留美子さん、しばらく私のことを歌丸師匠の彼女だと勘違いしてた。(笑)