属性に対する固定観念を押し付けられるのは苦しい
そしてもう一つ悩むのが、「決めつけ」に何度も直面することだ。
特徴のあるバックグラウンドの人はみな多かれ少なかれ経験することなのかもしれない。
「こうなんでしょ?」「××なんだよね?」「やっぱり××だと思いますよね?」
こうやって決めてかかられることは多い。
属性に付随した先入観は誰だってある。ただ、個人を見ずに属性に対する固定観念を押し付けられるのは苦しい。
なぜ決めつけが苦しいのか?を考えてみたが、作り出した虚像と対話し、「自分」を見てもらえない、本当の自分との乖離が進んでいくからなのかもしれない。
先日、以前から交流のある児童養護施設出身の子を取材する機会があった。
そこで、相手の思いや考えを決めつけることの加害性について話が及び、お互い共通する体験があり、大いに共感した。
彼女の言葉でハッとしたものがあった。
「周囲の決めつけがあると、“被害者”という立ち位置から抜け出せなくなるんですよね。私も一生『施設出身の人』として生きていく必要はない。
一見、手を差し伸べようとしたりしている人たちも、『可哀そうだね』と言いながらも、“被害者”としてしか接しないことで、サバイバーがそれ以外のアイデンティティを確立する機会や幸せになる道を阻害していると感じることもあります」
集英社オンライン 「大学は贅沢品」「貧しいなら進学は諦めるべき」という世間の風潮に、虐待のトラウマを抱えながらも児童養護施設から医学部に進学した女子大生が思うこと より