自分はそれだけで成り立っているのではない

彼女は非常に聡明で、その言語化能力に驚かされた。まさに自分の気持ちを言い当てられたような気持ちだった。

私は貧困以外にも、「推し」についてなど様々なテーマで執筆している。それにはいくつか理由があるのだが、その一つに、「私のアイデンティティは貧困家庭出身者ということではない」というものがある。どうしたって最初の出方の印象は強くなるが、そこでついたイメージから抜け出せなくなるのもまたしんどい。
私は一人の人間で、色んなことに関心があり、感情もある。
貧困問題はライフワークだが、決して自分はそれだけで成り立っているのではない。それを確認したいのかもしれない。

写真提供◎AC

私は自分のことを可哀そうだと思っていないし、可哀そうだと思って欲しくもない。
確かに大変な境遇については書いているが、重ねて言うとそれはあくまで問題提起のためなのだ。
発信すればするほど、自分の実像と求められるポジション、出来上がるイメージとのギャップに苦しむ。

それは発信することを自分で選んだ以上逃れられないことかもしれないが、「当事者が消費されること」「センセーショナリズムの問題点」については、これからも問題意識を持ち、指摘していきたいと思っている。

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