写真提供◎AC
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第33回は「スクールカースト」です。

学校というものがずっと嫌いだった

文部科学省の調査で不登校の子どもが過去最多となり、不登校の問題が社会問題として認識されつつある。

不登校と言っても、その要因は様々。学校に行けない・行かない理由によって対策も違うだろうし、そもそも学校に行くべきかという議論もある。もちろん学習や体験の機会は全員が保障されるべきだし、実際のところ行きたいけど行けないという場合が多いのだろうと推察する。
学校が子どもの居場所として機能するよう、これからさらに議論が必要だろう。

不登校の理由はそれぞれであるため、何か言えることがあるわけではないが、「学校が嫌い」で学校に適応できなくて、でも大人としてやっていける人もいる、ということは伝えたい。大多数は学校に通い、卒業していくなかで、学校に馴染めないという状況に不安を感じる人もいるのではないかと思う。

私は学校というものがずっと嫌いだった。
息苦しくて息苦しくて、私にとっては生き地獄そのものだった。
選んだわけでもないのに逃れられない環境。
小学校入学から高校まで12年間、生き延びられたのが奇跡のようだ。

小学生の時から、すでに私にとって学校は理不尽さを煮込んだような場所だった。
私が住んでいた貧困層が集う団地に住む男の子は、教師たちから目を付けられ、担任に平手打ちをされ、耳を引っ張られ引きずられることもあった。確かにその男の子は荒っぽいところもあったが、手を出して良い理由になるはずもない。その担任はすぐにキレる、声を荒げる、手を上げる。大人が暴力をしつけの一つと考えている事実が信じ難かった。そして担任の暴力は校長に伝わったが、何の処分も下されなかった。