子どもたちがハンデを負わないよう…

大人になった今思う。
不自然に統制され、同調圧力に支配され、スクールカーストでしか人間をはかれないような環境でうまく生きる力が本当に必要なのだろうか。
スクールカーストで上位だった人が大人になってから評価されるかというと、全くそんなこともなく、番狂わせばかりだったりする。

写真提供◎AC

派手さや声の大きさがあるがゆえにとりあえず何を言ってももてはやされた人も、別に面白くもイケてもない人になり、陰キャと言われていた人が独自の分野で活躍していたりする。
大人になってから振り返ると、学校という「箱」はあまりに小さく、特殊だった。

無論、子どもにとってはそれが世界のすべて(のように感じる)。
でも、大人になれば、もっと広く、息がしやすく、多様な尺度ではかれる世界がある。
環境に適応できないことを自分がおかしいせいか?と責め続けていた自分に、「そんな無茶苦茶な環境、なじめないのは自然なことだ」と言ってやりたい。

一方で、中学の時の不登校の期間、授業を受けられなかったことで勉強に大幅に遅れを取った。
さらに、基礎体力を付ける時期に、運動をほとんどできず、その支障はあまりに大きかったように思う。さらに行事などにもまったく出られず、思い出は本当に少ない。
私は運よく高校からは通うことができるようになった。

でもそれは紙一重だったように思うし、高校の場合通えなくなったら進級できない場合もある。大学進学の道も難しくなっていた可能性もある。
様々な事情で学校に行けない子どもたちがハンデを負わないよう、教育を受ける権利が守られるよう、対策がとられて欲しい。

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