貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第31回は「欠陥品の身体」です。
自分の身体の弱さを呪いまくった
受験生時代、担任の先生がホームルームでよく言う言葉があった。
「時間だけはみんな平等だからなー時間がないのを言い訳にするなよー」
当時は、「確かに、塾に行けないとか参考書を好きに買えないとかいろいろあるけど、試験までの時間は一緒だもんな、頑張ろう」くらいに思っていた。
でも大人になって気づいた。
人間に平等なものなんて何一つとして存在しない、という事実に。
確かに、秒、分という単位や、1日は24時間という概念は同じだ。
でも、時間は平等ではない。
「可処分時間」は人によってまっっっったく違うのだ。
私は受験生時代、図書館で受験体験記を読みあさり、科目別の時間配分の表を見て、再現しようとしたことがある。
難関大に合格した人は、休日であれば1日に12時間以上は普通に勉強する。
しかし、私は8時間が限界だった。
集中力はあるし、スイッチが入ると無我夢中でのめり込む。
でも、8時間以上勉強すると、
・肺が痛くなる
・呼吸が苦しくなる
・頭痛
・吐き気
といった症状が現れる。
休憩してから再開するも、無理をすると今度は次の日全く動けなくなるので、症状が現れたら強制終了。
体力がないからか?と思いずっと走り込みなんかもしていたけれど、結局もともとの体質らしかった。
浪人、併願なんて選択肢もお金がなくて無理だったので、当時は本当に自分の身体の弱さを呪いまくった。