「何もしなくても、生きられますよ」(臨済宗妙心寺派 松壽山不徹寺のTwitterより)
兵庫県・松壽山不徹寺の住職、松山照紀さん。松山さんは20歳の時に予期せぬ妊娠で大学を中退して、学生結婚・出産を経験。その後離婚してシングルマザーに。手に職をつけるため看護師を志し、患者さんの終末期を見つめる中で、医療の限界や迷いを感じ48歳で出家。「すべての女性の駆け込み寺」を目指し、無料の電話相談を受け付けるなど幅広い活動を行っており、その実体験に基づく禅の教えに、心がスッと晴れるはず。「いったい何のために生きてるんでしょうか?」そんな悩みを抱えた人への、松山さんのアドバイスとは――。

何もしなくても、生きられる

「妻に先立たれて、ひとりぼっちになってしまいました。この先、どうやって生きていったらいいんでしょうか」

時刻は夜の10時すぎ。携帯電話の向こうの声は、シニアと思しき男性。

「こんな弱音を吐いたら息子たちにも迷惑だろうし、心配かけると思って、ずっと黙ってたんですけど……」

もう限界です、と力なくつぶやきます。

長く寂しい夜に耐えかね、顔が見えない安心感もあって、私のところに電話されたのかもしれません。

ずっとおひとりで悶々と抱え込んできたのが、痛いほど伝わってきます。

私は、できるだけ朗らかに、こうお答えしました。

「何もしなくても、生きられますよ」と。

何もしなくても、ちゃんと今だって息をしてるし、心臓は動いています。

寝ても覚めても、悲しくても、苦しくても、もう逃げ出してしまいたくなるようなしんどい場面でも、「ドクン、ドクン」って動いている。