「アハハッ! 仕方ないよね」と笑い飛ばす
仕事とか、人間関係とか、家庭とか、お金とかそういった「外側にあるもの」に生きる目的を求めようとすると、意外と迷ってしまいます。
だって、ままならないことばかりですから。
本来ままならないことを、どうにか思い通りにしようとすると、途端に生きるのが重苦しくなる。
もっともっと、迷いの森から抜け出せなくなります。
そんなしんどいことに、わざわざ手を染めなくてもいいんじゃないかなって思うんですよね。
私たちは、飲んだり食べたり排泄したり、基本的なところが確保できていれば、何にも考えなくても生きられるようになっています。
「ああ、もっと目がパッチリしてたら」とか「もうちょっと足が細かったら」とか、多少の不満はあったとしても、この命、この心を持って生きられるのは、たった1回。
とんでもなく貴重なんです。
いろいろ思うところもあるけれど、「アハハッ! 仕方ないよね」と笑い飛ばせば、たいていのことはなんとかなります。
せっかくだから、今の姿や心のありようをとことん大事にして、最後まで使い切ろうじゃありませんか!
※本稿は、『駆け込み寺の庵主さん――心のモヤモヤ「供養」します』(双葉社)の一部を再編集したものです。
『駆け込み寺の庵主さん――心のモヤモヤ「供養」します』(著:松山 照紀/双葉社)
姫路の地で300余年続く尼僧庵・不徹寺。現住職の松山照紀さんは「駆け込み寺の庵主さん」として迷える女性たちを受け入れ、体を張って守ってきた。2匹の寺猫ともども傷ついた女性を癒やす庵主さんだが、その半生は激動の連続。学生結婚、シングルマザー、大病を経て看護師となった庵主さんは、なぜ不徹寺へと導かれたのか?そして不倫の恋やパートナーへのモヤモヤ、大切な人との別れなど、しんどい思いをどうとらえればラクに生きられるのか? 実体験に基づく禅の教えに、心がスッと晴れる「読む駆け込み寺」。