2005年以来となる玉三郎さんとのタッグ

仁左衛門さんと玉三郎さんのコンビは、1970年に新橋演舞場で始まった若手中心の「花形歌舞伎」で生まれた。当時、「孝夫」だった仁左衛門さんと玉三郎さんのコンビは「孝玉(たかたま)」と呼ばれ一世を風靡。以来、絶好の相手役としてさまざまな舞台に挑戦し、観客を魅了してきた。本作で玉三郎さんとタッグを組むのは2005年以来となる。

あまり期待しないで下さい(笑)。歳を重ねましたし、18年前のイメージで見られると困ってしまいます。2021年に玉三郎さんと演った『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』も玉三郎さんとは長年コンビを組んでいるので、お互いに36年ぶりというギャップは感じず自然と演じることが出来ました。

ただ『桜姫東文章』も、『与話情浮名横櫛』も相手がこうしたら、こちらはこうするという「決まり」があまりない分、以心伝心で演じなければならず、それだけに本当に気の合うもの同志だからこそできるお芝居なのかもしれないですね。

鳳凰祭四月大歌舞伎 特別ポスター『与話情浮名横櫛』(舞台写真提供:松竹)

仁左衛門さんの与三郎の初演は、1982年3月の歌舞伎座だった。この時のお富は玉三郎さん。仁左衛門さんの江戸歌舞伎の当たり役が増えていった時期だった。

当時、コンプレックスの細い脚を見せる役は避けていたが、与三郎をやるに当たり「開き直って、細いのをトレードマークにしようと思った」とかつて語っている(『花の人 孝夫から仁左衛門へ』宮辻正政夫著、毎日新聞社)。

初役の時はとにかく緊張しました。「見染の場」で、与三郎が手紙を読む場面があるのですが、手が震えました。「源氏店の場」では花道から出ていくのが怖くて、歩くという動作で頭がいっぱいだったことを今でも忘れられません。

与三郎は、先輩の役者さんが洗いに洗い上げた江戸の二枚目の基本のようなお役です。その中で多くの役者が与三郎を演じる時に必ず頭に浮かべるであろう先輩は、十五代目市村羽左衛門のおじさんだと思うんです。私は実際の舞台は拝見していませんが、どのように演じられたかは伝説が神話のように伝わっています。お手本があまりにも高いところにあったので緊張しましたが、だんだん自然体で演じられるようになりました。