(撮影=ヤマザキマリ)
あることをきっかけに「トイレットペーパー」について想いを馳せることになったマリさん。気が付けば、アルバイトの”チリ紙交換”から人生で経験した枯渇危機、そして文明論まで考察は広がって――。(文・写真=ヤマザキマリ)

初めてのアルバイトは“チリ紙交換”だった

私の人生における初めてのアルバイトは、“チリ紙交換”だった。

それが何なのか知らない世代の人に説明すると、たいていの家が新聞をとっていた頃、読み終えて蓄積していく新聞紙や雑誌を引き取る、ようは「古紙回収」のことで、ある程度の量の新聞紙を出してくれた家には、それと交換で“高級化粧紙”と称する四角い形をしたひと束の紙を渡すという仕組みがあった。

時代が下って西洋式のトイレが主流になりつつあった当時、私たちバイトが配るのはチリ紙ではなく、個包装のトイレットペーパーに変わった。

「ひとつと言わずもう何個かちょうだいよ」などとせがんでくる厚かましいオバちゃんに出会うと、高校生の私は「自分で買いなさいよ」と思いつつ、人々の日常におけるトイレットペーパーヘの依存性について考え込まずにはいられなかった。