自分とまるで異なる相手と話をするということ
若い頃は、「わかる、わかる」と互いに同意することが親愛の情を示す手段のひとつであり、距離を縮めるのにも一役買っていた。共通点が多いことが、なによりの安心材料だったとも言える。40代に入ったあたりで、私は共通点ばかりの相手と新たに知り合う興味を失った。そういう相手なら、長年の付き合いの気心知れた仲間がすでに大勢いるからだ。
命を明日に繋げる理由はいくつもあるが、私にとってそのうちのひとつが、新しい知見を得て世界の見方を更新することだ。同じ景色を同じように見ていては、いずれ飽きてしまう。
自分とまるで異なる相手と話をすると、同じものを見ていても、解釈や反応がことごとく予想外のところから飛んできて、頭に大きなクエスチョンマークが浮かび上がる。若い頃、そういう場面に出くわすと、これ以上深く知ろうとしなくていい人の箱に仕分けしてその場を去っていた。