互いの目に映る景色を丁寧に開示し合うことで広がる世界
いまは違う。なぜ、同じものを見てまったく異なる解釈をするのかの背景を、お互いきちんと話すことができるからだ。
サクちゃんは少し年下だが、私よりずっと大人だ。感情の棚卸しを頻繁に行うことで、自分を好ましいほうへ変えてきた実績が私よりずっとある。彼女の話を聞いていると、私の想像力がいかにひとりよがりなものか、よくわかる。
とはいえ、「私が知っていること」の数々を帰納し、それらを演繹して導き出すことでしか、想像力は育まれない。よって、私の知らないことを知っている人からシェアしてもらえない限り、「私が知っていること」のバリエーションは増えず、ひとりよがりなものになるのは当然だ。
知見を広めるには書物も有効だが、こと情緒にまつわる話になると、対話が不可欠となる。私が「なぜそんなふうに考えるの?」と尋ねれば、サクちゃんは即座に言語化してくれる。理由を聞いて、理屈が破綻していると感じたことは一度もない。ついさっきまでは、まったくわけがわからないと茫然としていたのに。
互いの目に映る景色を丁寧に開示し合うことで広がる世界があり、回避できる対立があり、深まる理解がある。少なくとも、日常生活においては非常に有効だ。
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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇