温泉マークの由来

(1)磯部温泉発祥説 万治4年(1661)に江戸幕府から出された、上野国(こうずけのくに)(現群馬県) 碓氷(うすい)郡の農民の土地争いに決着を付けるための評決文「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚(やろんについてさいだんのおばえ)」の添付図に磯部温泉を表す2個の温泉マークらしき記号が記されている。専門家による鑑定の結果、これが日本最古の温泉マークであることがわかり、磯部温泉のある群馬県安中市が磯部公園にそのマークとともに「日本最古の温泉記号」の碑を建立した。

磯部公園にある「日本最古の温泉記号」の碑とそのマーク

(2)油屋熊八発明説 愛媛県出身の実業家・油屋熊八(あぶらやくまはち)が、別府温泉であまりきれいに写っていなかった人の手形が温泉から湯気が立ち上がっている姿に見えたので、これをヒントに温泉マークを考え付いたという説がある。熊八が別府に定住したのは明治44年のことで、地図に温泉マークが正式に採用されたのは明治24年であり、この説は成り立たない。

(3)ドイツ起源説 考案者は不明だが19世紀にドイツでできた地図に描かれたのが始まりで、測量を学んだ日本人技師がドイツから持ち帰り、これを参考に作ったという説。日本で陸軍参謀本部が地図に採用したのは明治17年のことである。

『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える-心と体に効く温泉』(著:佐々木政一/中央公論新社)

※本稿は、『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(中央新書ラクレ)の一部を再編集したものです。