閉店してからしばらくは、店のシャッターに毎日のように自作の俳句を貼っていました。でも、いざ建物の取り壊しが始まると、その様子を見たくない。たまたま通りかかった時、銭湯画家の方が2階の壁に描いてくれた富士山の絵が外から見えて――なんだかいたたまれない気分になり、それから二度と解体現場には近づきませんでした。

しばらくして、店があった場所は更地になりました。その頃からかな、気持ちが変わっていったのは。ちょうどその時期、僕が文章を書いた絵本が何冊か世に出ました。

画家のなかには試行錯誤しながら3年以上かけて絵を描く方もいるので、絵本を一冊つくるには、すごく時間がかかります。だから、僕が文章を書いた時点からかなり経ってから書籍になるのですが、時間を置いたからこそ客観的に見ることができる。

完成した数冊の絵本は、自分で言うのもなんだけど、どれもすごくよかった。画家はそれぞれ世代もバラバラで、絵本の絵を描くのは初めてという若いアーティストもいて、僕も刺激を受けました。

そして、何度も手に取って読み返すうちに、「絵本には可能性がある。僕はようやく、ここに辿り着いた。ここから新しい世界が始まる」という気持ちがふつふつと湧いてきたんです。絵本というものの意味が、自分のなかで大きく変わった気がしました。

初めて書いた絵本は、86年刊行の『あーちゃんちは パンやさん』。それから相当な数の絵本を書いてきましたが、漠然と現代詩の延長線上で書いてきた気がします。最後にオチがあるものも、けっこう書きました。でも、ただ詩の延長にオチをつけたのではダメなんですね。

子どもはどんなことにワクワクドキドキするのか。じっくり考えて書かなくては、子どもが目を輝かせてくれる本はつくれません。店を閉めて時間に余裕ができた今なら、それができる。画家は一枚ずつ時間をかけて絵に取り組んでいます。だったら僕も同じくらいじっくりと書こう。そう心に決めました。