何がやりたいのか問いかけてきた
僕の父は俳人で、美術骨董の愛好家でもあった。趣味が高じて、高円寺の商店街で営んでいた乾物店を67年に廃業し、民芸店を始めました。5年後、阿佐谷に移転し、父が寝たきりになってからは僕らが続けてきたわけです。
その店を閉じるのは寂しかったけれど、閉じるからには店の品物をきれいさっぱり売り切ろうと、早めに告知しました。地方からも、お客さんが来てくれてねぇ。ねじめ民芸店のファンがこんなにいるのかと、感無量でしたね。最終日にはすべて売り切り、何もなくなってしまいました。
忙しい一日を終え、夜、店のシャッターを閉めると、店奥の壁に「民藝ねじめ」と書かれた書だけが残りました。文人のたまり場だった新宿の酒場「ボルガ」の、創業者で俳人だった高島茂さんが、親父が高円寺で店を始める際に書いてくれたものです。
何もないがらんとした店の中で、額装された1m40cmくらいの書が、バーンと目に飛び込んできた。その瞬間、「あぁ、ずっとこの店を支えてくれたのはこの書だ」と思いました。
親父が民芸店を始めた時は金もなかったし、大変だった。父とはいい仲間だった高島さんは、そんな父のために相当力を込めて字を書いてくれたんだね。字のパワーをしみじみと感じたし、同時にその書が、「ねじめさん、これから何をやりたいの?」と問いかけてきた気がしたんです。
自分にはもう、小説も詩も書けない。それだけは確かだ。しんと静まり返った店内で、改めてそう認識しました。